赤丸の辺りが「逗子海岸駅」があった場所 – はまれぽ.com

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ライター:橘 アリー (2016年04月08日)

跡地の様子は!?

マリンスポーツや、夏の海水浴などでにぎわう逗子海岸。
そんな逗子海岸近くに、かつて京急線の「逗子海岸駅」があったという。

 

 3月初旬の逗子海岸。海も浜辺も穏やか

図書館などの資料によると「逗子海岸駅」があった場所は、現在の「新逗子駅」の南口から150メートルほどのところ。


 赤丸の辺りが「逗子海岸駅」があった場所

 
「逗子海岸駅」は、京浜急行逗子線の終着駅「新逗子駅」よりも先にあったようだ。

 

「新逗子駅」の南口の駅舎。可愛いカマボコ型をしている

 

 改札口方向は半円形になっている
 

「新逗子駅」南口の改札を出ると左側に駐輪場がある

 
駐輪場の職員の方によると、「逗子海岸駅」があった当時は、この駐輪場の中央辺りに線路があり、その先、現在の京浜急行バス車庫の場所に駅舎があったそうだ。

 

 地図で見るとこのような位置関係(Googlemapより)

 

 かつて、この駐輪場の中央は線路であった。中央奥がバス車庫
 


 横から見たバス車庫内。バスが数台停まっている辺りに駅舎があったようだ

 
「逗子海岸駅」は、現在の「新逗子駅」のすぐそばにあった駅だが、いつできたのだろうか。

『京浜急行百年史』などによると、最初にこの場所に駅が開設されたのは1931(昭和6)年4月1日のこと。京浜急行バス車庫がある場所は、湘南電気鉄道の「湘南逗子駅葉山口」という名称だった。

湘南電気鉄道が開業したのは1930(昭和5)年。その時、現在の「新逗子駅」の場所に「湘南逗子駅」が開設され、翌年路線を400メートル延長して「湘南逗子駅葉山口」が開設された。また、それまでの「湘南逗子駅」は「湘南逗子駅沼間口」と呼ばれるようになった。 

  

 表にまとめると※クリックして拡大

 
逗子は明治20年代ごろから別荘地として栄え、「湘南逗子駅葉山口」ができた昭和初めころの逗子海岸は“いかだ”や“飛び込み台”など本格的な海水浴場の設備が整えられた。鐵道省(鉄道省:運輸省の前身)により「海の家」が作られるほど、夏には多くの海水浴客が訪れるようになった時期である。

 

 鉄道省が開設した「海の家」(『逗子市史』より)

 
なお、湘南電気鉄道はのちに、合併、社名変更を繰り返し「京浜急行」となる。

 

 京浜急行の変遷を簡単に表にまとめた※クリックして拡大

1942(昭和17)年に湘南電気鉄道の後進である京浜電気鉄道・東京横浜電気鉄道・小田急電気鉄道の3社が合併。「湘南逗子駅沼間口」は再び「湘南逗子駅」に改称となり、その先400メートルの「湘南逗子駅葉山口」までの区間が廃線となった。

 

 当時の様子について書かれている『京浜急行90年史』

 
当時は戦時体制下で、東京急行電鉄の金沢八景駅と湘南逗子駅の間で使われていた資材が転用され、単線化。その先の「湘南逗子駅葉山口」までの線は使われなくなり「湘南逗子駅葉山口」は廃止となったようだ。

このように、戦争のため「湘南逗子駅葉山口」は廃止となったが、戦後、1948(昭和23)年に東京急行電鉄から分離して京浜急行電鉄が設立されると、「湘南逗子駅葉山口」があった場所に、新しく開業したのが「逗子海岸駅」だった。

続いて、「逗子海岸駅」があった当時の様子について。

駅があった当時は?・・・キニナル続きは次のページ≫
 


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