神戸新聞NEXT|姫路|ビーツでまちおこし! 姫路とロシア兵の縁とは… – 神戸新聞

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 約110年前の日露戦争中、兵庫県姫路市内にロシア兵の捕虜がいた。彼らの多くは農村出身者で、貧しい食生活を自らの工夫で改善しようと、市川の河川敷にロシア特産の赤かぶら(ビーツ)を植えた-。そんな口伝の逸話をまちおこしに活用しようと、市民グループが「姫路ビーツプロジェクト」を始めた。(木村信行)

 ビーツはホウレンソウと同じアカザ科。カブのような見た目で実は赤く、鉄分などが豊富なことから「食べる輸血」とも呼ばれる。

 ヨーロッパでは煮込み料理やサラダに使われ、ロシアの代表的料理ボルシチの赤色はビーツに由来する。近年、健康野菜として日本でも注目されるようになった。

 姫路とロシア軍捕虜の関係は、市内に住んでいた故・三木治子さんが当時の人々の暮らしを祖母から聞いてまとめた「捕虜たちの赤かぶら」(1985年出版)に記述がある。

 同書などによると、日露戦争中の1904年、市内の神社や寺に収容所が建てられ、多くのロシア兵捕虜が連れてこられた。市川の河川敷には「露人運動場」ができ、ビーツを栽培していたという。

 住民と交流もあったが翌年、戦争が終わり、捕虜たちは帰国。“赤かぶら”の花はしばらく河川敷に咲いていたという。

 この物語に注目したNPO法人「姫路タウンマネージメント協会」は昨年、姫路ビーツプロジェクトを発足。今年1月、県日本ロシア協会の協力を得てロシア料理教室を開いた。今後もビーツを使ったレシピの研究を進める。

 3月には市内の休耕田を借り、ビーツの栽培も始める予定だ。オーナー制度で市民の参加を呼び掛ける。

 同協会は「栽培から加工開発、イベントでの活用など観光にも生かし、姫路といえばビーツと言ってもらえるようブランド化したい」と意気込む。同協会TEL079・281・7466

 【姫路のロシア兵捕虜】日露戦争(1904~05年)の際、全国29カ所に捕虜収容所ができ、約7万2千人を収容。姫路は全国で3番目の04年8月に開設され、約1年5カ月間、播磨国総社や船場本徳寺などの寺社に約2200人が暮らした。

■NPO法人「姫路タウンマネージメント協会」理事長で元姫路市助役の田中達郎さん(88)=同市香寺町犬飼=の話

 30年ほど前、三木さんの本を読み「この人間味があふれる物語はまちおこしに生かせる」とアイデアを温めていた。

 だけど、本に出てくる赤かぶらがビーツだと分かったのは昨年。認知症予防にも効果がある健康野菜と知り驚いた。姫路には全国的に知られる特産作物がないので、学校給食やレストランに普及させる工夫をしたい。

 農村部は高齢化で休耕田が増えている。都市部の住民も参加し、ビーツ栽培を通じて交流できないか。ロシアとの草の根交流もしたい。昨年、米寿を迎えたが、まだまだ夢は広がります。

■「捕虜たちの赤かぶら」(抜粋)

 日露戦争の時のことや、船場御坊(本徳寺)の敷地に仮小屋を建てて、ロシヤの捕虜がたんと来ておった。

 まだその頃、播州の人達は西洋人などあまり見たことがないし、顔中髭(ひげ)だらけの露人は怖いし憎うもあるし、それでいて珍しうてな、町の人は勿論(もちろん)、近在からひまを見て「捕虜露人見物」に行ったものや。

 あれは夏の終わり頃か、てんでばらばらのロシヤ人が、気を揃(そろ)えて草を引くやら、小石を拾うやら、百姓道具もないのにそこらの板切れなど集めて畑らしいものをこしらえはじめた。近所の者も珍らしがって集まり、番兵さんに「なんぞ植えますのか」て聞いたら、「何でもロシヤのかぶらを蒔(ま)くらしい」ていうたった。

 番兵さんは「ここの捕虜は農村出の人が多いのや。せまい所での捕虜暮らしやで、故郷の蕪(かぶら)を作るのがえらい楽しみらしいんで、子供らが面白半分に引き抜いたりせんように、気いつけとってやってな」と情がうつるのか、よう頼まれた。

 捕虜の蒔いた、かぶらの花は三、四年ちょろちょろ咲いたが、もう消えてしもうて咲かん。






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