大手門復元 水戸の「顔」に 来月着工、10年来の地元の夢実現へ – 東京新聞

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明治期に撮影された大手門の写真を手に、復元を喜ぶ才丸さん(左)と渡辺さん=水戸市で

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 水戸市は、かつて水戸城にあった「大手門」「二の丸角櫓(すみやぐら)」「土塀」の復元に着手する。大手門を2019年秋の茨城国体までに完成させ、水戸の顔として観光の目玉に据える考え。お膝元の同市三の丸地区では09年から地元住民が復元を市に働き掛けており、完成すれば10年越しの夢がかなう。(山下葉月)

 水戸城は、現在の県立水戸一高から旧県庁三の丸庁舎にかけての本丸、二の丸、三の丸、下(しも)の丸の曲輪(くるわ)にあった建物の総称。鎌倉時代初期に地頭が構えた館が始まりとされ、一六〇九年に徳川頼房が初代水戸藩主になって以降、水戸徳川家の居城となった。明治政府の廃城令により使われなくなり、一九四五年の水戸空襲で大部分を焼失した。

 二〇〇八年、解体された大手門の一部が坂東市で見つかったのをきっかけに、地元で復元の機運が高まった。住民有志が「水戸城大手門復元の会」をつくり、募金活動を始めると、八カ月で約三千人から計約百九十万円が寄せられ、水戸市に寄贈した。一一年、市は門があったとみられる場所で復元に向けた調査に乗り出した。

 会の副会長の才丸洋子さん(81)は「水戸の個性は歴史にある。地元のためにも復元したかった」と力を込め「ようやく、ここまで来られた」と喜ぶ。水戸城跡は現在は文教地区で、幼稚園児から高校生まで約三千人が毎日通う。三の丸には日本遺産に認定された水戸藩の藩校弘道館もあり、大手門が完成すれば、子どもたちは、さらに水戸の歴史を肌で感じることができるようになるとみる。

 復元する大手門は、木造二階建てで高さ約十三メートル、幅十七メートル、奥行き五メートル。古い絵図や明治初期に撮影された写真などから原寸を割り出した。弘道館から大手橋を渡ったかつての二の丸にある市立第二中と茨城大教育学部付属小の敷地にまたがって建設する。総工費は約六億円。

 また発掘調査では、跡地から豪華な装飾を施した瓦を積み重ねた「瓦塀」も見つかっており、合わせて再現する。

 角櫓は、JR水戸駅に近い丘の上に再現、大手門との間の約三百メートルを土塀でつなぐ。完成すれば、水戸駅北口を出てすぐ、角櫓が目に入るという。

 大手門は六月七日に起工式を迎える。角櫓と土塀は来春以降、着工する計画。

 会のメンバーで市議の渡辺政明さん(70)は「大手門は(水戸藩九代藩主)斉昭公や(徳川幕府十五代将軍)慶喜公もくぐったとされる。歴史ロマンを多くの人に伝えたい」と訴えた。

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