/34=黒木亮 古屋智子・画 – 毎日新聞

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 ◆あらすじ

 熊本県と地元二市十三町、民間企業二十七社の出資による第三セクター・天草エアラインが設立。ボンバルディア社より飛行機(ダッシュ8)を購入し、試行錯誤の末、平成十二年三月二十三日に開業した。就航一年目を全国で搭乗率第一位の成績で終えて、二年目を迎えていた。

 平成十四年の初め――

 CAたちが作る天草エアラインの機内新聞が『四足の靴』から『イルカの空中散歩』というタイトルに変わり、引き続き、社員の紹介、天草や就航地の観光やイベントの紹介、機内での役立ち情報などを提供した。

 同年六月、CA教官、宮原千鶴が、二年間の出向期間を終え、鹿児島の日本エアコミューター(略称JAC、日本エアシステムの子会社)に帰った。

 代わって寺崎純子が教官になった。五和町(いつわまち)出身の寺崎の教官就任は、地元でも話題になり、西日本新聞は、〈熊本県/生え抜きの教官誕生 天草エアライン初 寺崎純子さん〉という見出しで報じた。

 同月、二代目の社長だった前田浩文に代わり、元県職員で県の教育長も務めた東坂力(とうさかちから)が三代目社長に就任した。グランメッセ熊本理事長との兼任だった前任者二人と異なり、初の常勤社長となった。去る三月に、創業以来行われてきた出資自治体から地元利用客への助成金(福岡便は大人片道千五百円、熊本便同千円)も終了し、経営に本腰を入れる時期になった。

=古屋智子・画

 七月――

 田山洋二郎が、オリエンタルエアブリッジと琉球エアーコミューターに設立を呼びかけてきた「ダッシュ8の会」が発足し、「熊本日日新聞」、「日刊工業新聞」、「沖縄タイムス」などで、〈天草エアラインなど地域航空3社 コスト減で相互支援へ 国内初〉といった見出しで報じられた。

 記事は、全国で地域航空会社は十三社あるが、それらの間での提携は初めてで、それぞれ系列が異なる航空会社同士の協力という点でも異例であると述べていた。また、すでに三社の社長からなる経営者会議が発足し、下部機関として整備、運航、総務の三部会が組織され、ボンバルディア社と日本総代理店の日商岩井もオブザーバーとして参加することも報じられた。

 記事が出たその日のうちに、国土交通省航空局から田山に電話がかかってきた。

「田山さん、今朝の新聞記事を見て、びっくりしたんですけどね」

 航空局の担当官が非難めいた口調でいった。

「え? ああ、そうなんですか」

 会社の専務室で、田山は淡々と応じた。

「田山さん、あなた、第三セクターのエアラインを作ったり、我々でもなかなかできない系列を超えた提携を仕掛けたり、今度はいったい何をやらかそうっていうんですか?」

「いや、やらかそうなんて、何も」

 田山は言下に否定した。「要は、みんな小さな航空会社で、協力すれば無駄をなくせるから、協力してやりましょうっていう話ですよ」

「みんなで連携して、パイロットの年齢制限の引き上げとか、そういった政治運動をやろうっていうんじゃないですか?」

「と、とんでもなか! 政治運動なんて、考えとらんですよ!」

「そうなんですか……?」

「まあ、その、パイロットの年齢制限を引き上げて頂きたいのはやまやまで、そういうことは全地航を通じてお願いしてる通りですけどね」

 全地航(全国地域航空システム推進協議会)は、地域振興の観点から地域航空システムの推進やあり方の検討を行う任意団体で、都道府県や地域航空会社が就航している自治体が会員となり、天草エアラインなど地域航空各社が賛助会員になっている。国に対しては、パイロットの年齢制限(六十三歳未満)の引き上げなどを要望している。

「ご存知の通り、我々は皆、小さな航空会社です。特にうちなんか、一機しか飛行機がないですから、やれ部品がない、やれパイロットの訓練だ、やれ整備だで、ちょくちょく運休したりするわけです。そうすると、経営にも響くし、お客さんからの信頼もなくなります」

 ダッシュ8の保有機数は、天草エアラインが一機、オリエンタルエアブリッジが二機、琉球エアーコミューターが三機である。

「今回の提携は、同じ機材を持つ、同じ境遇の会社同士、助け合って、経営を少しでも安定させましょうという趣旨で、それ以外の目的は何もありません」

 新聞各紙も、協力する分野は、(1)部品の共同保管・共同使用、(2)パイロットの合同訓練の実施で、今後は窓口の共同化や必要に応じた機体の貸借なども検討すると報じていた。

「なるほど。経営安定化のためにね」

「そうです。それだけです」

 田山はきっぱりといった。

「まあ分かりました。それでは我々のほうでも、見守らせて頂きましょう」

 相手はなおも疑り深そうにいって、電話を切った。

    4

=古屋智子・画

 翌年(平成十五年)五月中旬――

 天草空港から北に二キロメートルほど舗装された坂道を下って行った場所にある五和町城河原(じょうがわら)地区は、緑の山あいに田園風景が広がる自然豊かな一帯で、米、白菜、キャベツ、大根、柑橘類、柿、いくり(赤いスモモ)など様々な農作物が作られている。

 同地区を流れる内野川の土手や近くの城河原小学校周辺には、約五千株の芝桜が植えられ、春になると濃いピンク色の絨毯が敷き詰められたようになる。

 夜、内野川の川面で、無数の小さな黄色い光が乱舞し、岸辺の草むらで、黄色い光が息づくように点滅していた。

 天草はホタルの季節を迎えていた。

 城河原地区では二年前に「ホタルの里をつくる会」が発足し、地元の小学生たちも参加して、ホタルの棲息調査や川の浄化作業を行っている。

「そーっと、そーっと……」

「……獲(と)ったっ!」

「ああー、逃げられたぁ!」

 城河原小学校(児童数七十三人)の男女児童たちが、白い捕虫網を手に、ホタルにそーっと近づいては、バサッと白い網をかぶせていた。

「おぉ、これは珍しかねえ。ホタルの幼虫だ」

 白い野球帽に長靴姿の壮年男性が、一人の児童が見つけた虫を見ていった。男性は、ホタル学習の指導をしている五十歳の郵便局長である。

「えっ、幼虫!? 見せて、見せて!」

 周りの児童たちが目を輝かせる。

「ほら、これだよ」

 男性は、白い捕虫網の上の茶色い虫をペンライトで照らす。足がたくさん付いている芋虫のようなゲンジボタルの幼虫だった。

「へえー、これが幼虫!」

「おしりが光ってる! 幼虫も光るんだ」

 児童たちは珍しげに見入る。

「さあ、みんな。だいたい獲り終えたかな?」

「はーい」

「じゃあ、そろそろ学校に戻ろう」

 児童たちは、プラスチック製の虫かごと捕虫網を手に、指導者の男性や保護者たちに付き添われ、夜道を城河原小学校へと戻って行く。

 翌朝――

 天草空港のロビーで、城河原小学校の児童たちの出発式が行われた。

 東坂社長をはじめとする天草エアラインの職員、教師、見送りの保護者らが見守る中、藍色の制服姿の高学年の男子児童が、挨拶(あいさつ)をしていた。

「……みんなで獲ったホタルを、無事に病気の子どもたちの手に届けられるよう、気を付けて行って参ります」

 学校を代表して五人の児童が、昨晩捕獲した三百五十匹のホタルを天草エアラインで福岡まで運び、病気の子どもたちに届けるところだった。費用は天草エアラインと、五和町の補助を受けている城河原地域づくり振興会が負担する。

「みんなが思いを込めて獲ったホタルです。どうか大切に運んで下さい」

 男子児童は、ホタルがたくさん入った金網の大きな籠(かご)を、そばにいた制服姿の副操縦士とCAに渡した。

「お預かりします。無事に福岡まで運ばせて頂きます」

 青のスカーフに濃紺の制服姿のCAが籠を受け取り、微笑を浮かべていうと、ロビーに拍手が湧いた。

 やがて五人の児童たちは、「行ってきまーす」と、タラップで手を振り、ダッシュ8に乗り込んだ。

「オッケーです」

 CAが乗降口から外に腕を出し、親指を立てて搭乗完了の合図をする。

 ドアが閉められると、ダッシュ8はプロペラを回転させ、滑走路へと向かった。

 機が福岡に到着すると、児童たちは、国立療養所南福岡病院へと向かった。

 市の中心部から一〇キロメートルほど南西の、田園風景を残す閑静な住宅地にある大型総合病院だ。呼吸器・アレルギーと小児科に多くの専門医を擁し、ベッド数は五百二十床である。

 城河原小学校の児童たちがホタルを贈ろうと考えたきっかけは、ホタル学習の指導者の男性が、自分が小学生の頃入院したとき、親がホタルを持ってきてくれて、元気が出たと話したことだった。同校の児童たちも、自分たちも病気の子どもたちにホタルを贈りたいと希望し、寄贈先を探したところ、国立療養所南福岡病院から受け入れたいとの申し出があった。

 児童たちは病院に到着すると、小児病棟に案内された。同病棟には、ぜんそくやアレルギーなどで、生後一ヶ月から中学三年生までの約五十人が入院している。

「昨日の晩、みんなで獲ったホタルです。これを見て、喜んでくれれば嬉(うれ)しいです」

 五人の児童は、約三十人の子どもたちのベッドを一つ一つ回り、籠に入ったホタルと皆で書いた励ましの手紙を手渡した。

「遠かとこから本当に有難う。早う光るところば見たかです」

 ホタルを受け取った子どもたちは、皆、目を輝かせた。

「元気になったら、城河原に遊びに来て下さい」

「有難う。ホタルも手紙も、ばり(注・すごく)嬉しかです」

 二才くらいの小さな男の子、ガウンを着て車椅子に乗った小学生の女の子、ぜんそくで何年も入院している中学生の男の子など、闘病中の子どもたちは、皆、嬉しそうにホタルを見つめた。普段は直接自然と触れ合うことができない子どもたちである。

 その晩、ホタルは小児病棟の中庭に看護師たちが作った約三メートル四方の網の小屋に放され、入院中の子どもたちは、病室の窓から幻想的な光の乱舞を楽しんだ。

 天草エアラインの「ホタル便」は、この年が第一回目で、その後も毎年続けられた。

 約五ヶ月後(十月上旬)――

 天草エアラインの会議室で、社長の東坂力、専務の田山洋二郎、常務の高橋力、業務推進部長の高山正ら幹部たちが、難しい表情で話し合いをしていた。

「……こらぁ、そうな(注・かなり)厳しか状況ばいね」

 白髪まじりの頭髪をきちんと撫(な)で付け、銀色のフレームの眼鏡をかけた東坂は社長らしい貫禄がある。県職員時代、魚住汎輝と副知事指名を争う立場になったとき、自分から譲ったという温厚な人物である。

「確かに、六一・九パーセントという数字には、危機感を抱かざるを得ないですな」

 田山洋二郎がいった。

 開業以来の搭乗率は、平成十二年度が七二・七パーセント、十三年度が七一・二パーセントだったが、昨年度(一四年)は六五・二パーセントと落ち込んだ。一方、搭乗者数は、八万千三百三十九人、八万三千六百五十四人、八万三千八百六十八人と緩やかな右肩上がりで、平成十三年十一月から始まった福岡線の増便(一日四往復)が寄与した。これにより昨年度は、約二千四百万円の経常利益、約七百万円の純利益を計上した。

 しかし、この上半期(平成十五年四~九月)の搭乗率は六一・九パーセントと、ますます落ち込み、採算ラインの六五パーセントを初めて割った。

「九月の重整備は織り込み済みでしたが、六月のエンジン故障と天候不良が痛かったですねえ」

 出席者の一人がいった。

 去る六月六日、機長二人が乗り込んで熊本空港まで定期便を運航したあと、天草下島の西約五〇キロメートルの東シナ海上に移動し、片方のエンジンを止めて再始動させる訓練を行った。その際、右エンジンをいったん停止し、再始動させたところ、数分後に自動停止し、その後、再始動できなくなった。やむなく左エンジンだけで熊本空港まで引き返し、原因調査と予備エンジンへの交換のため、五日間の運休を余儀なくされた。

 六月十八日には台風六号の影響で四便が欠航し、十九日には全便(八便)、二十二日も五便が欠航となった。

 一方、開業後初めての重整備のため、九月一日から十一日までの十一日間、運休した。

「苓北(れいほく)の発電所の工事が終わって、関係者の移動がなくなったのも、響いてますねえ」

 下島の苓北町にある九州電力の苓北発電所(石炭火力)の二号機(七〇万キロワット)の工事が終わり、去る六月二十四日に運転を開始した。工事関係者の利用は年間三、四千人で、四千万円程度の運賃収入があった。

「ご祝儀相場も一巡したという感じだしなあ」

 もの珍しさで乗る乗客も、もういなくなった。

 また島の人口が毎年一・三パーセントくらいずつ減っている過疎化も、少しずつ影響を及ぼしてきている。

「このまま行くと、大幅赤字は避けられなくなるぞ。何とか対策を打たないと」

 東坂が危機感を滲ませていった。

「チャーター便の運航が一つの手だと思います」

 高橋力がいった。

 去る九月に天草エアラインは、天草から仙台まで初のチャーター便を飛ばした。

 これは重整備の委託先が仙台空港にある専門工場になったため、カラで往復するのはもったいないので、国土交通省へも届け出て、東北・北関東への二泊三日のツアーを企画したのだった。ツアーは、JTB熊本支店などを通じて売り出され、二十六人が参加し、好評だった。

「機長の訓練が当初予定しているより何日か早く終わる可能性がありますから、それを利用してチャーター便を飛ばせると思います」

 機長の訓練は、定期便の合間を縫って、数時間程度で行っていた。

(つづく)

(イラストレーション/古屋智子)

 ※島のエアラインはサンデー毎日で2016年10月16日号から掲載されている連載小説です。いち早く続きを読みたい方はサンデー毎日でご覧ください。







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