<軌跡 三江線の夏4>募る危機感 それでも前へ – 読売新聞

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 ◇川平駅の景観維持 瀬頭龍平さん87

 来年3月末に迫るJR三江線の廃線を見据え、沿線各地で「その後」を考える動きが出てきている。一方で、高齢化が進み、駅舎などの鉄道施設活用が困難な地域もある。

 雨上がりで暑さと湿気が肌にまとわりつく10日朝、JR三江線の川平駅(江津市)近くに住む元国鉄職員の瀬頭龍平さん(87)は仲間とともに同駅のホームの周りで草を刈っていた。列車が近づくと、草刈り機を止めた。どれくらい乗っているかが気がかりだが、乗客は少なかった。

 「駅は川平の玄関。車窓の景色も気分よく見てもらうため、きれいにしておかんとね」。瀬頭さんはタオルで汗をぬぐった。

 江の川左岸の川平駅は江津―川戸間が開通した1930年4月に誕生。列車の発着だけでなく、住民の集会所としても使われてきた木造平屋の駅舎は何度も水害に見舞われたが、建物の骨格は建築時のままだ。待合室には古い木のベンチ。田園風景に溶け込んだ駅舎で、島根を舞台にした2008年の映画「砂時計」では主人公が東京へ向かう場面などが撮影された。

 瀬頭さんは1985年に旧国鉄を退職して以来、同駅で花壇の手入れを続ける。「古里を離れる時に列車に乗った駅。鉄道マンの原点の場所でもあるから」

 地元の尋常高等小学校を卒業後、下関(山口県)と朝鮮半島の釜山プサンを結ぶ連絡船の甲板員に。戦後は鉄道に配置換えされ、49年秋、線路のポイントを切り替える転轍てんてつ手として古里の駅に戻った。当時は鮮魚を扱う行商人らで早朝から満員になる日もあり、駅員は10人以上いたという。「転轍機に積もった雪を払う時、手が凍えそうになった」と、昔を思い返して笑った。

 川平地区は163人の住民のうち65歳以上が101人。高齢化率は約62%。駅舎は三江線廃止後の代替バスの待合所に使われる見込みもあるが、地域振興の活用策を検討した地元町内会は7月、「高齢化した集落で維持管理をするのは困難だ」と結論付けた。

 瀬頭さんは「年寄りばかりでは……。今の形で残すのは無理じゃろう。寂しいけど仕方がない」と話す。

 ◇駅で写生会 三浦志保子さん40

 危機感を抱いて動き出した人もいる。駅近くにある正福寺の三浦志保子さん(40)は「駅がなくなれば、集落も失われるかもしれない」と話す。

 地元出身で、東京の大学で美術を学んだ後、現在の住職と結婚して帰郷。それからの約14年間で、かつて通った小学校は統廃合され、高校の通学で使った三江線の廃線も来春に迫る。

 三浦さんは得意の絵をいかそうと、川平駅の写生会を開催した。昨年10月、地域の子どもからお年寄りまでの10人が、思い思いに駅を描いた。「デジタルカメラで風景をデータとして切り取るのではなく、自分の目で見て感じた記憶を、手を動かしてとどめてほしいと思った」と語る。

 絵を掲載した正福寺のブログを見て寺を訪れる人は増えた。さらに駅の記憶を残すための企画も考える。でも、その先は見えない。

 「駅は町の誇り。だから喪失感は大きい。でも自分たちだけでできることがあるのだろうか」と語り、三浦さんはため息をついた。






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