<軌跡 三江線の夏5おわり>「幻の駅」記憶とどめる – 読売新聞

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 ◇野井臨時乗降場 山田照雄さん 77

 JR三江線が通る美郷町・野井地区で生まれ育った元タクシー運転手の山田照雄さん(77)は今月初め、地区の線路に面した草地を訪れた。「ここに駅があった。今は何にも残っとらんけどね」。地元で「幻の駅」と呼ばれる野井臨時乗降場の思い出を語り始めた。

 養蚕農家に生まれた山田さんが幼い頃、雪の積もった冬の朝に「ポー、ポー」という音が聞こえると、集落の男たちはスコップを片手に家を飛び出した。汽車の車輪が雪で空転し、運転士が救援を求める汽笛だ。山田さんも小さなスコップで雪かきを手伝い、汽車は「シュッ、シュッ」と蒸気音を立てて出発した。「それは『ありがとう』の合図。みんな助け合いの精神で駆けつけたんよ」

 タクシー運転手として働いていた1972年7月、西日本各地で大雨が降り続いた。昭和の年号をとった「47水害」で、各地の川が氾濫。県内では28人の死者・行方不明者が出た。

 野井地区の江の川が氾濫し、三江線の鉄橋が押し流された。山田さんは「外に出たら川沿いの民家に濁流が押し寄せて、鉄橋もなくなってしもうた」と語り、身震いした。被害の大きさに三江線は廃線になるのではと思ったという。

 三江線は江の川を挟んで明塚(美郷町)―浜原(同町)間が不通に。このため、地区に野井臨時乗降場が設けられ、渡船で川を渡ることになった。

 山田さんによると、乗降場は土を盛って木の枠組みで囲い、駅名表示板を置いた簡素な作りだった。山田さんは別の駅に置いていたタクシーに乗るため、毎日のように乗降場から列車に乗った。JR西日本米子支社の記録によると、同乗降場は72年9月から翌年9月まで運用された。

 「仮の駅だから仕方ないけど、私らには復興の象徴だった。廃止された時は寂しかったなあ」。当時、地域経済を支えた養蚕業が斜陽化し、過疎が進んでいた。それに水害が拍車をかけた。山田さんは「駅が幻になった頃から、地域の活気は消えていった」と言う。

 山田さん宅に今月9日、1冊のアルバムが届けられた。同地区の武田茂幸さん(65)宅に残っていた水害当時の地区を撮影した写真を収めたものだ。アルバムには、浸水した民家や落ちた鉄橋とともに、乗降場のカラー写真もあった。「確かにこんなんじゃった」。写真を見つめる山田さんの目がうっすらと光った。

 野井地区で今、乗降場の記録を語れる人は少ない。それだけに、山田さんは来年3月末で廃線になれば、三江線の記憶も失われるのではと心配する。

 JR西日本は今春、廃線後の駅舎や線路などの施設すべてを一括で譲渡するなら無償で、一部譲渡なら有償とする方針を示した。沿線6市町は代替バス運行に必要な施設を回答したが、地域振興への活用については、JRとの協議を求めた邑南町を除く5市町が「現状で活用の見込みがない」とした。

 「人が往来する駅は町の文化の象徴。三江線を何かの形で残していくことが、地域を守ることにつながる」と山田さん。廃線の何十年か後、三江線が「幻」と呼ばれないことを願う。

(第2部おわり。第3部は秋に掲載します)






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