歴史を通して読み解くカタルーニャ独立問題 – 読売新聞

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 私は10月10日までバルセロナにいた。滞在中、「住民投票」「独立」という言葉が、バスの中でも、カフェでもしきりと耳に入ってきた。やはり、独立問題は一部の運動家だけではなく、ごく普通の市民にとっても最大の関心事なのだ。

 9月下旬、小学校の校長をしている友人のヌリアの家に昼食に呼ばれて行った時も当然、その話題が中心になった。校長という立場もあり、普段は穏健な彼女が、珍しく熱弁をふるった。「問題はもはや独立するかどうかではない、民主主義を守るかどうかだ」と。

 彼女は小さい頃、まだフランコ独裁時代に、父親が映画館でカタルーニャ語を話したら、隣の人から「キリスト教徒の言葉(=スペイン語)をしゃべれ!」と怒鳴(どな)られたことを記憶している。あんな時代に戻ってはいけない。

 ヌリアの小学校は、10月1日の住民投票の投票所に指定されていた。投票を阻止したい中央政府からは投票所の閉鎖命令が出ていたが、彼女は「何としても投票所は開ける」と、意気盛んであった。もちろん、その時点では、住民投票があれだけの衝突と混乱を伴うものになろうとは予想もしていなかった。

 私がバルセロナに到着したのは9月10日である。翌11日の「カタルーニャ国民の日」(La Diada Nacional)に、間に合わせたかったからだ。

 この「国民の日」というのは、ちょっと変わった祝日だ。「祝日」というぐらいだから、普通はめでたい日のはずだ。ところが、ここカタルーニャではなんと、9月11日は18世紀初めの「スペイン継承戦争」において、バルセロナが陥落した日なのだ。

 簡単に言うと、この戦争は、スペイン王位を巡ってブルボン家とハプスブルク家が争ったものだ。結局、ブルボン家の勝利に終わるのだが、あいにくカタルーニャは、負けた側のハプスブルク家についていた。そして、厳しい包囲戦の末に、最後はバルセロナ陥落という憂き目に遭った。

 終戦で苦しみが終わったわけではない。そこからブルボン王朝によるカタルーニャへの苛烈な報復が始まった。駐留軍による乱暴狼藉(ろうぜき)はもちろん、カタルーニャ人の母語であるカタルーニャ語の使用は禁止され、民族芸能さえご法度。バルセロナ大学は域外に強制移転させられる、などなど。そんな縁起でもない日をなぜ祝日にしているのだろうか。

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