20歳の女性DJが、戦場となった故郷のラジオで伝えたこと – BuzzFeed Japan

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マイクを手に街を歩くディロバン

20歳のディロバン・キコは小さなFMラジオ局のDJ。街を歩いてはさまざまな情報を取材し、朝の番組で話す。

彼女が普通のDJとちょっと違うのは、イスラム過激派の攻撃で廃墟となったシリアの故郷コバニに踏みとどまって取材と放送を続けてきたということ、そしてラジオ局は、自分たちが手作りで立ち上げたものだ、ということだ。

コバニは、シリア最北部の街。シリアの公用語アラビア語では「アイン・アル・アラブ」と呼ばれる。「コバニ」はこの街に暮らす人々、クルド人が話すクルド語での呼び名だ。

ディロバンもクルド人で、アラビア語とクルド語を話す。ラジオ放送はクルド語だ。シリア第二の都市アレッポにある名門のアレッポ大学で社会学を学び、将来の夢は教師になることだった。しかし、シリアの内戦でアレッポの街は崩壊して勉強どころではなくなり、コバニの街は戦闘で破壊された。

5月12日から日本公開が始まった「ラジオ・コバニ」(アップリンク配給)は、コバニで生きるディロバンの日々を追った、ドキュメンタリー映画だ。

監督はクルド人のラベー・ドスキー氏。クルド人はシリア、イラク、トルコ、イランなどにまたがって広がる民族で人口約3000万人。独自の言語と文化を持つが、その居住域がいくつもの国に分割されていることから、「自らの国を持たない世界最大の民族」と言われる。

イラクでもシリアでもトルコでも、少数民族として差別を受けたり、独立や自治を求める運動を弾圧されたりして辛酸をなめてきた点が共通している。シリアではクルド人は人口の1割を占め、主にコバニなどトルコやイラクとの北部国境地帯に暮らしている。戦乱や弾圧から逃れ、日本で難民申請をしている人もいる。

ドスキー監督はイラク北部ドホーク出身で、1996年にオランダに移住した。イラク北部は現在、クルド人によるクルド地域政府がつくられ、強力な自治権だけでなく独自の軍事組織ペシュメルガを持ち、アラブ人が多数を占めるイラク中南部からは半ば、独立した状態にある。

1991年の湾岸戦争と2003年のイラク戦争で、イラクで独裁を続けたアラブ人によるフセイン政権が力を失ったことで、自治の獲得が可能になった。

シリア北部では、2011年以降に激化したシリア内戦でアサド政権が支配力を失ったことからクルド人が自治を始めた。コバニは、その主要都市の一つだ。

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コバニでISと戦うクルドの女性民兵部隊

コバニは2014年秋から2015年1月にかけて、世界的な注目を浴びた。イスラム過激派「イスラム国(IS)」の戦闘員らに占領されたからだ。私(貫洞)も当時、取材のため訪れた一人だった。

この街はトルコとの国境となっているシリア北部の要衝。ここを占領すれば人員や物資の搬入が容易になるうえ、シリア北部のクルド人居住地域を分断できる。

それだけにISの攻勢は激しく、2014年9月には一度陥落し、多くの市民がトルコや周辺地域に逃れた。米軍の空爆支援やイラク北部のペシュメルガの派兵を受け、シリアのクルド人組織YPGがISの掃討戦に乗り出し、翌年1月26日に再奪還した。ドスキー監督は、この戦闘のさなかにトルコから密入国してコバニに入り、取材を続けてきた。2014〜16年の取材期間中、監督のコバニ入りは計九回にのぼる。

ドスキー監督はある日、国境近くでタクシーの運転手がかけていたカーラジオを聞いた。張りのある明るい声の若い女性が「おはようコバニ」という番組で「戦士たちのために」という曲をかけ、ISと戦うクルド人民兵を励まそうとしていた。

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マイクに向かうディロバン

これはだれかと運転手に尋ねると、地元の小さなラジオ局でDJとして活動するディロバンという女性だという。監督は有刺鉄線をくぐり、地雷原を通り抜けてシリア側に密入国した。

その日のうちにラジオ局を探し出し、ディロバンに会いに行った。「出会ったその日に彼女の声を録音した。美しく知的で勇敢な女性に出会った。まさに一目惚れだった」。彼女を被写体に、ドキュメンタリーをつくることを決めた。

ディロバンはシリア第二の都市アレッポにある名門のアレッポ大学で社会学を学び、将来は教師になることを夢見ていた。

だが、アレッポは内戦で都市機能が崩壊して勉学もままならない状況となり、故郷のコバニに戻った。父と兄は義勇兵としてコバニを守るために戦っていた。コバニで何が起きているのかをつかんでみんなに伝えようと、仲間たちと機材を集め、FMラジオ局「FM94.3コバニの声」を始めた。

「コバニのみなさん。おはようコバニのディロバン・キコです」。ディロバンは毎朝、この声で番組を始める。肉親を亡くした人々の声を伝え、戦闘や爆発の状況を報告し、歌を放送する。

ディロバンは戦乱で友人を失いながらも、前を向いて生きる。
母親に気になる男の子のフェースブックを見せる。
休日に友人と林の中をオートバイに乗って楽しむ。
スマホでセルフィーを撮る。
やがて、生涯の伴侶を見つける。

カメラはその日々をつぶさに収める。

あなたは まだいない
でも あなたのために語りましょう
ラジオ・コバニの話を
いつか生まれる子に伝えたい

ディロバンがまだ見ぬ未来の我が子に宛てて書いた長い手紙の朗読を所々に挟みながら、ドスキー監督が体当たりで取材を続けた、コバニの日々が紹介されてゆく。

AFP=時事

2015年1月28日に撮影されたコバニ市街地の惨状。この街でディロバンは生きる

とはいえスクリーンに映し出されるのは、決してディロバンの青春の日々や、ISに立ち向かう民兵たちの姿だけではない。

監督がまず焦点を当てるのは、破壊された街を一から再建せざるを得ない、コバニの人々が直面する厳しい現実なのだ。

ISが撤退してから、人々は街に戻り、自宅が粉みじんになっていることを知って立ち尽くす。そして、戦闘で命を落とした人々の遺体を延々と片付けはじめる。

瓦礫に埋もれている遺体を人々が掘り返し、改めて埋葬する。この悲惨な作業を続ける大人の姿を見守る子どもたちの姿すらも、カメラは捉えている。

そして観客は、街を侵略して破壊したISの戦闘員の男がクルド側の捕虜となり、尋問される場面にも立ち会うことになる。

クルド人の女性尋問官が「不信心者の街だから攻撃したと言うが、私たちもイスラム教徒だ。子どもたちや市民を殺してさらし首にするのがイスラムのが教えだというのか」と言うと、戦闘員は絶句し「私にも家族がいるんだ。家に帰りたい」「貧しいから戦士になったんだ。家族に私がここにいることを伝えてほしい」と、涙ながらに命乞いする。

ISの戦闘員たちも、何かに悩み、苦しみ、家族を持ち、様々な事情で戦争に巻き込まれた、この地上に生きる同じ人間の一人なのだ。

ドスキー監督は、映画を見た観客や批評家から、凄惨な場面を加えた理由を何度も問われたという。

「コバニの人々が日々向き合う現実を隠すわけにはいかない。過酷な場面を見るのが辛いという人もいるが、まず、その中で何ヶ月も生きざるを得ないコバニの子どもたちのことを考えてほしい。これが、あの子たちの人生にどんな影響を与えることになるかを」と語る。

AFP=時事

2015年1月28日、国境のゲートを開けるクルド人民兵。私もこの写真が撮影された2日後、ゲートを越えてコバニに入った。取材を終えて写真奥にある青いテント付きのベンチに座って原稿を書き、携帯電話で日本に送った。

私は前職の朝日新聞記者時代の2015年1月30日、トルコ側から国境を渡り、コバニを訪れた。ISが撤退して4日後のことだ。

トルコ側は、平和で緑にあふれた農村地帯が広がっていた。フェンスの向こうで何が起きているのかを想像するのは難しかった。

だが、国境の鉄のゲートがゴゴゴという音とともに開くと、見渡す限りの瓦礫の山が広がっていた。重い音を聞きながら、「地獄の扉」が開いたと感じた。当時の私はラジオ局の存在を知らなかったが、この時もディロバンは「地獄」の中を生き延び、明るい声で人々を励まし続けていたのだ。

コバニの街を歩くと、当時はまだ市民の姿はほとんどなく、立つのはクルド人の民兵たちだけだった。あちこちに、ISのスナイパーによる狙撃を避けるための目隠しの幕が張られていた。

そして、文字通りそこら中に不発弾が転がっていた。映画に出てくる、街の中心部にある「自由広場」を、私もあの日、不発弾をよけながら歩いた。戦闘が終わったとしても、市民を取り囲む環境は極めて厳しいことを実感した。

のちに、爆発物に詳しい旧知の陸上自衛隊幹部にスマホで撮った不発弾の写真の数々を見せると、彼は「専門知識を持つ人による不発弾や地雷、仕掛け爆弾の処理がなければ、まともな市民生活は不可能だ」と眉をしかめた。

コバニの人々はそんな状況から瓦礫を片付け、遺体を埋葬し、自分たちの暮らしの再建を始めたのだ。

戦士だった鍛冶屋が
また鉄を打っています
私は人を信じ、生きることをあきらめません

映画は、再建に向かう人々の姿と、ディロバンの輝かしい晴れの日の姿を紹介し、希望を見せつつ終わる。

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墓地に座って物思いにふけるディロバン

コバニに入る時は思い出して

この地は私の友達の血で覆われています

しかし今、コバニのクルドの人々は、再び苦境にある。今度は隣国トルコの思惑が、重くのしかかってきたのだ。

シリア北部でクルド人が自治を広げることを、トルコは快く思っていない。トルコの人口の4割はクルド計で、シリアで自治が広がれば、自国内のクルド人を刺激して、再び独立運動が強まることを警戒している。

トルコ政府は、シリアのクルド自治組織の主力を担うPYD(その軍事部門がYPG)が、トルコのクルド人組織PKKと密接なつながりを持つとみている。

PKKは以前、トルコで軍との戦闘やテロなどを行い、トルコだけでなく米国政府からも「テロ組織」と認定されている。そのPKKとつながりを持つYPGを、IS対策のため米国が軍事支援したことに、トルコは猛反発している。

そしてトルコ軍は2018年3月、シリア領内に侵攻し、クルド人組織が拠点としていた都市アフリンを包囲。中心部を占領した。コバニの国境も、出入りも制限している。

アフリンに入ったトルコ軍の戦車

AFP=時事

アフリン市街で2018年3月21日、トルコ軍の戦車を見る地元の市民ら

アラブ人がつくるシリア反体制派も、クルド人組織と対立している。反体制派の主力武装組織の一つ自由シリア軍は、トルコ軍とともにアフリン包囲戦に加わった。クルド人をアサド政権打倒よりも自治の獲得を優先しているとみて、敵対視しているのだ。

この時、アサド政権が「義勇兵」をクルド人のためアフリンに送るというねじれも起きた。アサド政権はクルド人を、反体制派を分裂させるための道具として利用しようとしてきたのだ。

アサド政権の打倒か自治の獲得か。

その違いを巡るシリア反体制派内部でのアラブ人とクルド人の対立は以前から根深く、私は2012年7月にエジプト・カイロで開かれたシリア反体制派の合同会議で、クルド人の代表とその他の反体制派の代表が怒鳴りあい、決裂する姿を目撃した。

そののち、会場となったホテルのロビーで米国の駐エジプト大使が「今は対立している場合ではない」と大声を上げ、改めて各派を仲立ちしようとしたが、聞く耳を持つ者はいなかった。

イラクでも2017年、クルド自治政府が独立を巡る住民投票を行った。90%を超える賛成票を得たが、イラク中央政府だけでなくアメリカなど各国もクルディスタンの独立に背を向けた、クルド自治政府は独立を断念し、バルザニ大統領は辞意を表明した。

中東各地で、クルドの人々の苦闘は今も続く。

シリアの内戦が終結するめども立っていない。

ディロバンはこの映画の撮影がおわったあと、DJの仕事は辞め、代わりに夢だった教師となったという。

これからのディロバンの人生が、明るく豊かなものであるよう、祈っている。
そしてコバニとシリアに平和が戻る日を。

BuzzFeed JapanNews

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